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不可思議ワンダーボーイの死因は事故?ラッパー仲間の追悼の思いについても

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今回は若くして亡くなったラッパー 【不可思議/Wonderboy】について紹介していきたいと思います。

サイトを見てくださっているということは、YouTubeなどを見て来てくださった方が多いのではないかと思います。

私もその1人でどんなに辛いときでも不可思議の音楽を聴いて背中を押してもらいました。

不可思議の映像と共に読んでもらえると嬉しいです!

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不可思議/ワンダーボーイの出身や死因の事故死について

不可思議がなぜ死んだのか気になる方も多いのではないでしょうか?

彼は埼玉県出身で本名は『石田 剛』といいます。

路上ライブから5か月後の2011年6月23日に、”交通事故”でなくなりました。

彼の命日にはSNSでの多くのメッセージや死去ネットで今もなお多くのメッセージが届けられています。

ウィキペデアに載っている亡くなったヒップホップアーティストは若い人が多くは20代30代が大半。大麻などの薬物に依存してしまった方もいますが、中には射殺されてしまったアーティストも少なくありません。

若すぎるゆえ、なにかあったのではないか?

真相はわかりませんが彼が今生きていたら、今とは違ったふうに聞こえていたのかもしれませんね。

不可思議/ワンダーボーイはTwitterで生き続けている

彼のTwitterは最後の言葉を残して、今もなお残っています。

彼の新譜は聞くことができませんが、歌は亡くなった今も多くの人々に力を与え続けてくれています。

不可思議/ワンダーボーイが有名になったのは亡くなった後

不可思議が全国的に有名になったのは彼が亡くなってになります。

彼の代表曲でもある『Pellicule』は現在再生回数を740万回を突破しているほど人気がありますが彼が亡くなる5ヶ月前に撮影された路上ライブの映像では、ほとんどの方が彼の歌に耳を傾けずに素通りするのがわかります。

彼は素通りするお客さんに

  • 「いつか売れた時にここで見たことを自慢してください!」
  • 「6人だけのお客が、何度も続ければ何十人になる。それをさらに何度も続ければ何100人になる。」

ここまでまっすぐな人だと眩しく感じる人も多いのではないでしょうか?

もしかしたら、私も不可思議さんの曲を聴くまでは素通りする側の人間だったかもしれません。

しかし今では違います。

不可思議ワンダーボーイの音楽を聴いて変われた出会えてよかったと思う方は多いのではないでしょうか?

もし彼が生きていたらどのように時代は変わっていったのでしょうか。

不可思議/ワンダーボーイの生きざまは映画化された

彼が亡くなった後、レーベル『LOW HIGH WHO』やラッパーの『神門』によって、2015年にドキュメンタリー映画【Living Behavior 不可思議/wonderboy 人生の記録】が作られました。

『生き方が不透明な時代をまっすぐに生きた一人の青年』彼が残した音楽は私たちの心にまっすぐに届き、彼の言葉が耳に残る人は多いはず。

映画にはこのような言葉も紹介されていました。

世の中には、二つの生き方がある—-

  • 死なないように自らを抑制する生き方と、
  • 今だけを見つめて自らを表現する生き方だ。

〝死ぬ気でやれば、生は輝く〟
『Living Behaviour不可思議/wonderboy 人生の記録』より

51分間という短い時間ですが貴重なライブ映像だけでなく、”死”の考え方や人との繋がりについて知ることができる作品です。

この映画だからこそ是非大切な人と一緒に見てもらいたい映画になります。

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不可思議/Wonderboyとは?

不可思議/Wonderboyは『ポエトリーラッパー』というアーティスト。

あまりピンッとこない方も多いかと思いますが、最近だとgalaxyのCMを担当していたMOROHA小林大吾さんなどが有名で、

今生きていたら彼らと肩を並べていたのではないでしょうか。

不可思議の初めてのCDデビューは2011年、詩人として有名な谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を、アレンジして50枚限定でCDを販売し一夜にして完売しました。

生きる意味を歌った曲は皮肉にも”彼の死”をきっかけに完成したとも言われています。

同年には、1stアルバム【ラブリー・ラビリンス】を発売。

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現在でもCDを購入でき彼が亡くなった今も彼の言葉に背中を押してもらう方は増えています。

そして発売から翌月、不慮の事故で彼は命を落としてしまいました。

24歳という若さでなくなりあまりにも短すぎる人生。

彼の歌を聴いていると『自分の人生を無駄にするな』そんなことを言ってくれているような気がします。

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不可思議/ワンダーボーイが今も人気が絶えない理由とは?

不可思議の人気の理由は”まっすぐでリアルな言葉”にあるのではないかと思います。

私は辛いとき何回も彼の歌で助けられました。

初めて聞いたのが不可思議/Wonderboyの【世界征服やめた】はまるで自分が死ぬことがわかっていたかのような歌詞で、本当に不慮の事故だったのか….

信じられないほど謎の多いラッパーです。

歌詞にある「抵抗できない運命」とは自分のことだったのか、彼は大きなものを背負いこみ歌詞として伝えていたのかと思うと泣けてきます….

YouTubeでも多くのコメントが続々と寄せられており、彼は私たちの心の中でずっと生き続けるラッパーなのではないでしょうか。

”彼の生きざまこそがヒップホップの魅力そのものなのかと思います”

神門が不可思議に歌った曲や2人の関係について

神戸出身ラッパーである神門が不可思議の死後

彼のために作ったカバーソング『Pellicule』が注目されました。

神門が彼のことをもっといろんな人に知ってもらうために作られた曲です。

ライブ映像では

「知らん人にも知ってほしいんで、色んな場所で歌ってきたんですけど…」

で始まる曲は、彼の熱い思いがラップに込められていました。

特に、「タイムマシンに乗って 先週に戻って『一つだけ未来を変えていい』って言われたら、ロト6買わずお前に一本電話入れる『近々、事故には気をつけろよ』という歌詞に涙しました。

神門には『スクラッチ』という曲もあるので、

大の宝くじ好きで不可思議も天国でこの歌詞には笑っているのではないかと思います。

またこの歌には、

「迷路にはまった?抜けれなくなった?けどさっき道を聞いてヒントをもらった? 声よ距離を越え響き渡れよ 次、交差点出たならば右に曲がれよ」

の歌詞がありますが、これは不可思議の『世界征服やめた』と繋がっており

v「いやちょっと最近迷路にはまっちまってさぁ、すぐに抜け出せると思ってたんだけどなかなかそうもいかなくて、あ、でもさっき道を聞いたら交差点に出るたび左に曲がれば大丈夫だって言ってたから、もうきっと、きっと、すぐだよ。」

神門はきっと道に迷った友人『不可思議』を本人と見立てて、

次は事故らないように「次の交差点は右に曲がれよ」と歌ったのかもしれませんね。

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まとめ

◆不可思議は『交通事故』によって若くして亡くなりました。

◆不可思議の魅力はリアルな言葉であり彼の生きざまこそが、

今の私たちに力を与え続けているのではないかと考えます。

◆神門とはラッパーとして戦友としても親友としても信頼しあっていた仲

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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