風立ちぬ最後の意味のわからないセリフの解釈は?ラストの「来て」から「生きて」に変わった理由についても
今回は映画【風立ちぬ】の最後のセリフについて紹介していきたいと思います。
ファンの中では様々な解釈がありますがその中でも一番しっくり来た意味や理由を今回紹介していきたいと思います。
また、最後の『来て…』は『生きて…』に変わった理由についても紹介していきたいと思います。
風立ちぬ最後の意味のわからない「生きて…」の解釈とは
最後のシーンで二郎に抜けて菜穂子が言ったセリフ
『生きて』
とはどんな思いが込められていたのでしょうか?
諸説ありますが、菜穂子が二郎にいったセリフには、『今の時代を力強く生きてほしい』という意味合いが込められております。
二郎は飛行機を作ることが小さい頃からの”夢”であり、目標にしていたんだそうです。
しかし彼が飛行機に携わる道は、1つだけしかありませんでした。
戦闘機を作ること
彼は、戦争に勝つためでもなく人を殺す目的で作っていたのではなく、ただ大好きな飛行機を作りたかっただけ。
しかし自分の作った戦闘機でおおくの人が命を落としてしまったには違いありません。
この時代に生きていく以上、自分のするべきことをやるしかない。
菜穂子もそんな二郎を一番近くでみてきた人であり、大切な人です。
周りにどんなことを言われようと、自分のやってきたことに恥じないで、生きてほしい。
という菜穂子の思いが最後のセリフには込められています。
ジブリ作品には見終わってからも面白い要素がたくさん詰め込まれているのが魅力でもありますよね!
初夜やラストのセリフ「来て…」の解釈とは?
結婚式初夜の「来て…」の意味は?
菜穂子が『来て…』と言ったセリフを言ったのは正式には1回のみで、結婚式がおわった夜に二郎を”夜の営み”に誘いますよね。
布団から菜穂子が二郎を誘う姿がなんだかリアルな雰囲気で、ジブリ作品の中ではかなり珍しい大人のシーンだったのではないでしょうか?
1回目の『来て…』は、
菜穂子が二郎を夜の営みに誘うための言葉
なんですが、なぜここまで騒がれているのでしょうか?
と思ったら、よく聞いてみると最後のシーンで菜穂子が二郎に『生きて…』とささやく言葉は本当は『来て…』なのではないかと言われております。
宮崎監督は物語の中に色々な意味を込めているから面白いですが、知りすぎると都市伝説みたいなのもあり怖いですよね…笑
最後の「来て…」の意味や変わった理由は?
元々は『生きて…』ではなく『来て…』として作品を作る予定だったそうです。
その意味は、
菜穂子の死を受け入れ二郎もこっちに来て…
という誘いの意味があり怖いですよね…笑
ではなぜ、『生きて..』に変更されたのでしょうか?
宮崎監督自身がインタビューでこの言葉をかえた理由を語られており、風立ちぬのキャッチフレーズである『生きねば』に沿った物語にしたかったからなんだそうです。
ここで二郎も死んでしまうストーリーでは、物語のバランスが崩れてしまうのもあり監督自身、最後の作品でもあるのでこだわり抜いた作品にしたかったと語られておりました。
なので菜穂子の”死”についての曖昧にした形に演出し、監督のこの映画に対する思い
『どんな事があっても生きていかなければならない』
を伝えるために最後の言葉を変更したそうです。
確かに、2人を見ていると病気や時代と戦いながら力強く生きる姿がかっこよかったですよね。
まとめ
◆菜穂子が最後二郎にいった『生きて…』にはどんな事があっても自分を信じて生きて!という二郎を知り尽くす妻だからこそ言える最後の言葉でした。
◆結婚式の初夜の『来て…』にはジブリ作品でも珍しい大人の営みの誘いの言葉でした。
◆最後の『来て…』には二郎も天国に一緒に来て?って言葉の意味がありましたが監督自身そんな結末が嫌で変更したそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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